
筆者はデザイナーとして日々の業務に取り組んでいますが、近年、デザイン思考に関わる仕事が増えてきました。その中で興味深く感じたのが、世の中でデザイン思考を教えている多くの人々が、必ずしもデザインの専門家ではないという点です。なぜ、デザイナーではない人たちがデザイン思考を語れるのか。そもそも、デザイン思考とデザイナーの思考は同じものなのか。そうした違和感を手がかりに、自分なりに考えを深めてきました。本記事では、そのプロセスと考察をまとめています。
デザイン思考とは
「再現可能なプロセス」である
デザイン思考(Design Thinking)は、IDEOやスタンフォードd.schoolが中心となって普及させた問題解決のフレームワークです。デザイン思考はデザインをバッググランドとして持たない分野の人々、特に経営の分野の人々に対して提供される技術や技能です。以下のようなステップで構成されることが一般的です。
- 共感(Empathize)
- 問題定義(Define)
- アイデア創出(Ideate)
- 試作(Prototype)
- テスト(Test)
このプロセスは、デザイナーの思考を誰でも取り組める再現可能な形に翻訳した思考プロセスであり、前述の「共感・問題定義・アイデア創出・試作・テスト」といった作業工程としてわかりやすく分解できることを重視しています。デザイナーでなくても、この作業工程を守ればユーザー中心の問題解決が可能になるという点が魅力です。
言い換えれば、デザイン思考は「他者に教えることができるように抽象化・構造化された思考法」です。
デザイナーの思考とは
「暗黙知に根ざした熟練の技」であり、「意味の創造としてのデザイン」である
一方で、デザイナーの思考(Designerly Thinking)とは、プロフェッショナルなデザイナーが長年の訓練や経験の中で培ってきた思考習慣や判断のことを指します。デザイナーの非言語的な能力をどう解釈し、特長付けるかについて考えてみると、以下のような特性を持ちます。
- 形や色、空間への高い感受性を持ち言語化する
- 文脈を読み解く直感を大事にする
- クリエイティブな発想と制約のバランス感覚を備え持つ
- 問題を定義する、問いそのものを問い直す(リフレーミング Reframing)力
- 曖昧さや未確定性を抱えたまま進める力(Ambiguity Tolerance)
これは非常に非言語的かつ直感的な領域が多く、「型にしづらい」「再現が難しい」という特徴があります。
つまり、デザイナーの思考は「身体知・直感・センス・状況判断」に根ざした職人的な知性とも言えます。
一方、別の言説としてKlaus Krippendorffがデザイナーの思考を「意味の創造としてのデザイン」と定義しました。次はこの「意味の創造としてのデザイン」について考えたいと思います。
「意味の創造としてのデザイン」とは何か?
Klaus Krippendorffの「意味の創造としてのデザイン」に関する理論は、デザインが単に物事を形作るだけでなく、その意味を創造する過程であるという観点を強調しています。以下のポイントを中心に解説します。
Design is making sense of things (デザインは物事を意味付けすること)
Krippendorffによれば、デザインは単なる形作り以上に、「意味付けのプロセス」だと述べています。デザイナーは、ユーザーの視点から物事を理解し、その物事に意味を与える役割を果たします。この意味付けの過程において、デザインは単に外見や機能性を追求するだけでなく、社会的、文化的な文脈を考慮しながら、ユーザーをより深く理解し、彼らに共感することを目指します。
Constructivism (構成主義)
構成主義は、Krippendorffがデザインにおいて重要視する理論的枠組みの一つです。この理論によれば、現実や知識は個々の経験や文化的な枠組みによって構築され、意味が与えられるとされています。デザイナーは、この構成主義の観点から、ユーザーの背景や状況を理解し、それに基づいて意味の共有を目指します。つまり、デザインがモノの表面的な見た目の創造を超えて、ユーザーとの対話を通じて意味を見出す形成する過程を理解し、実践することが重要であるということです。
Krippendorffのアプローチは、デザインが単なる形作りや技術的な実装に留まらず、人々の生活や文化に深く関わる意味を創造することを目指している点で、現代のデザイン思考において重要な視点を提供しています。
日本では、経済産業省と特許庁が2018年5月に発表した「デザイン経営宣言」は、Krippendorffが提唱するこの「意味の構築」と極めて親和性が高く、日本の企業文化に“意味の創造”を組み込む第一歩ともいえるのです。
「デザイン経営宣言」は政策文書で、企業が「デザインを経営資源として活用する」ことを提言したものです。背景にあるのは、製品性能や価格競争だけでは立ち行かなくなってきた日本企業の課題と、世界的にデザイン主導の企業(Apple、Airbnb、Dysonなど)が台頭しているという現実です。
この宣言は、単に製品の見た目を整えることではなく、「ユーザー起点の価値創造」と「ブランド構築」を両輪とした戦略的デザイン活用を促すものです。
デザイナーの思考と厄介な問題(wicked Problem)の解決は相性がいい
さて、ここからは、デザイナーの思考と並行して語られる厄介な問題(wicked Problem)について考えてみましょう。
まず、厄介な問題(wicked Problem)とは、1973年にHorst RittelとMelvin Webberが提唱した概念で、「明確な定義ができず、正解のない問題」のことを指します。特徴は以下の通りです。
- 問題の定義自体が不明確
- 「正解」が存在せず、解決の善し悪しは文脈次第
- 問題と解決策がセットになっていて、切り分けられない
- 関係者(ステークホルダー)が多く、利害や価値観が衝突する
- 一度実行したら後戻りできない(試行錯誤が必要)
例:
- 少子化
- 気候変動
- 医療制度
- 教育格差
- サービスのUX改善
ここに、厄介な問題(wicked Problem)とKrippendorffのデザイナーの思考で接点が生まれます。
問題は“与えられる”ものではなく、“構成される”ものである
Krippendorffは、デザインが扱う対象(つまり「問題」)はあらかじめ存在するのではなく、人間の意味の網の中で構成されていると主張します。これは厄介な問題(wicked Problem)の性質そのものと一致します。
Krippendorffの「意味の創造としてのデザイン」と、厄介な問題(wicked Problem)は、密接に関連しています。両者は共に、デザインを単なる問題解決手法としてではなく、人間の認識や価値観、社会的文脈と深く関わる活動に注目している点で共通しています。
両者の関連性は以下の問いからも見出すことができます。
- 誰にとっての問題か?
- 何が「解決」なのか?
- どの視点から見れば意味があるのか?
といった問いは、意味を問う行為です。「正しい答えを出す」のではなく、ユーザーやデザイナーが納得のいく意味を共に構成していく活動になります。
一般的に「正しい」判断を下すには、何が正しいかを測るものさし(基準)が存在します。しかし、厄介な問題(wicked problem)では、そのような単一のものさしは存在せず、複数の異なる価値基準が絡み合い、しばしば衝突しています。
この複雑さを理解した上で、どのアイデアが多様なものさしの中で最もバランスが取れているかを見極めるのが、デザイナーの思考であり、デザイン(価値創造)の営みです。
さらに、デザイナーはユーザーとの対話を通じて、新たなものさし(価値基準)を共に創り出すこともあります。その際には、「なぜそれが基準としてふさわしいのか」を言葉にして伝え、共感を得ることが求められます。また時には、提案された新たなものさしが本当に価値あるものなのかを問い直す視点も必要です。
このように、「正しさ」を測る基準そのものを試行錯誤しながら創造していく姿勢こそが、
デザインが“意味の創造”であると言われるゆえんなのかもしれません。
デザイン思考が陥りやすいワナとは
デザイン思考は一般や経営に有用な形に翻訳したため、デザイナーの創造性に注目し、すぐに使えるツールとして見なされる傾向にあります。デザイナーはそのツールをいつ使うべきかを訓練トレーニングしている一方で、一般の人はそれが欠落しがちです。それ以外にも、デザイン思考はデザイナーの創造性以外の能力や実践ノウハウが抜け落ちやすい状況にあります。
デザイン思考の骨子は「ユーザー中心(ユーザーセンタード)」にあります。ユーザー中心はデザイナーの思考プロセスだけでなく、エンジニアやビジネス領域にも当てはまる大きな概念です。
気になる点として、現在広く行われているデザイン思考のアプローチでは、「使いやすい」「安い」「早い」といった、誰もが確実に「良いね」と言えるものさしに対してアイデアを生み出す方が取り組みやすくなっています。
一方で、「かわいい」「自尊心を満たす(誇れる)」「心が満たされる」といった、万人にとって良いとは限らず、人によって感じ方が異なるようなものさしに対しては、デザイン思考による価値創造はまだまだ道半ばだと考えています。
このような「人によって感じ方が異なるようなものさしに対するデザインアプローチ」には、別の訓練(トレーニング)が求められます。
デザイナーが訓練していて、デザイン思考で抜け落ちるデザイナーの能力や実践ノウハウとは何でしょうか?
まず思い浮かぶのは、アイデアを表現・実現するためのスキルの習得です。デザイナーは、問いに対して生まれたアイデアを形にするための表現技術を、日々訓練しています。たとえば料理人が美味しい料理をつくるために、包丁さばきや火加減といった基本技術を身につけるように、デザイナーもまた、デザインスクールや独学を通じて表現スキルを徹底的に磨きます。これらのスキル習得には長い時間と反復が必要であり、最終的には個人の意欲や努力(あるいは才能)に強く依存します。一方、再現性やプロセスの汎用性を重視するデザイン思考では、こうした表現スキルの重要性が見過ごされがちです。
イギリス出身のデザイン思考家であるRanulph Glanville(1946–2014)は、以下のように述べています。
Design is a conversation with materials, often conducted through drawing. The designer draws, sees what is drawn, reacts, draws again. The process is circular.”
— Ranulph Glanville「デザインとは、素材との対話であり、多くの場合描画を通して行われる。デザイナーは描き、それを見て反応し、また描く。このプロセスは循環的である。」
“Drawing is not a way to communicate a finished idea, but a way to think: a conversation with oneself, externalised on paper.”
— Ranulph Glanville「ドローイングは完成したアイデアを伝える手段ではなく、思考の方法である。紙の上に外在化された、自己との会話なのだ。」
つまり、デザイナーの中心的な行為は主に紙と鉛筆を介した自己との会話であるということになります。
この「自己との対話」において、デザイナーは頭の中の曖昧な思考や感覚をスケッチとして可視化し、それを見つめ直すことで新たな気づきを得ます。描くことで考え、考えることで描き直すという循環は、思考の外在化と内省を行き来するプロセスであり、デザインを単なる成果物の創造ではなく、意味を探求する認知的活動へと昇華することが可能です。
スケッチをしながら想像し、それを可視化する。そして、その可視化されたものを新たなインプットとして再びスケッチを繰り返す——このプロセスは、スケッチの技能があってこそ成立します。ここに、デザイナーの思考にあって、一般的なデザイン思考には欠けている重要な要素があります。スケッチを完成品として捉えるのではなく、思考の過程そのものとして、そして自己との対話の手段として活用することが、デザイナーには求められるのです。
そして、デザイン思考に抜け落ちている能力の中で、私が最も惜しいと思う能力が2次の理解(second-order understanding)と呼ばれるものです。
初めて聞く言葉だと思いますので、2次の理解を深堀りしてみましょう。
2次の理解(second-order understanding)とは
他者が世界をどのように理解しているかを、自分が理解することを指します。これは「背景を含めた理解」や「メタ認知的理解」とも呼ばれます。つまり、「私は、あなたが世界をどう見ているかを理解している」という状態です。単に相手の言っていることを理解するだけではなく(1次の理解)、「なぜ相手はそう理解しているのか?」「その背後にどんな価値観や前提があるのか?」まで踏み込んで考えることが求められます。
言い換えれば、「ユーザーの視点に立つ」のではなく、「ユーザーがどのような視点を持って立っているか」を理解することです。
1次の理解と2次の理解の違い
(例)Aさんが「この商品は高すぎる」と言った。
1次の理解
→ あなたは「高いと思ってるんだな」と受け取る。
2次の理解(second-order understanding)
あなたは「Aさんは、価格に対して得られる価値が見合っていないと感じているのだな」と推察する。
→ もしかすると、Aさんの過去の購買経験、収入、価値観、文化的背景が影響しているのかもしれない。
なぜデザイン思考から抜け落ちるのか2次の理解が抜け落ちるのか
デザイン思考では、「ユーザーの課題(pain point)や欲求(needs)を観察・共感する」というのは、多くの場合、「1次の理解」にとどまりがちです。たとえば「使いづらい」「もっと簡単にしたい」といった表面的なフィードバックに反応して解決策を考えるなど、ユーザーの行動や言葉は捉えるが、意味づけの構造や価値観の前提までは掘り下げないのが、1次の理解となります。
結果として、ユーザー自身が無自覚な前提(例:「こういう働き方が普通」「母親はこうあるべき」)に疑問を投げかけることができず、意味の再構築(reframing of meaning)まで到達しにくい、というのが筆者の現在のデザイン思考に対する解釈です。
それではなぜ、デザイン思考から2次の理解が抜け落ちるのでしょうか?
- 時間とスキルがかかるから
2次の理解には、深い対話・相互信頼・解釈的スキルが必要で、一朝一夕で修得は難しいです。「観察→共感→アイデア→プロトタイプ→テスト」の高速サイクルでは、ユーザーに対してそこまで掘り下げる余裕がないのが現状です。
- ユーザーの「語り」より「行動」が重視されがち
現在のデザイン思考は人間中心とはいえ、「実験可能な課題解決」に最適化されています。しかし、意味や価値観は必ずしも行動に現れず、語りや関係性の中にある場合も多いです。デザイナーは時間をかけて、ユーザーの語りや背景にあるナラティブを読み解こうとしますが、デザイン思考はわかりやすい行動に注視しています。
3.現在のデザイン思考は「問題解決型」だから
問題の枠組みを問い直す(=意味を問い直す)リフレーミングのアプローチは、本来の構成主義的なデザインには含まれますが、
フレームワーク化されたデザイン思考(特にビジネスシーンで用いられるもの)では、そこまで射程が及ばないことが多いです。
なぜ2次の理解が重要なのか?
Second-order understandingは、デザインはもちろんのこと、教育、ファシリテーション、異文化コミュニケーションなどの分野で非常に重要です。その理由は、表面的な言葉の背後にある意味や価値観やナラティブを理解する必要があるためです。これは、Krippendorffのデザイン論や構成主義とも通じる考えで、意味は固定されたものではなく、人と人の間で構築される関係性の中にあるという理解を前提としています。
デザイン思考で抜け落ちるデザイナーの能力や実践ノウハウは訓練できるのか
これまで述べてきたように、デザイナーの思考やスキルを習得するには、一朝一夕ではいかず、時間と地道な努力が必要です。しかし一方で、「デザイナーには才能が必要なのでは?」という声をよく耳にします。ここで言われる“才能”とは、先天的なセンスや資質を指すことが多いようですが、私が学んだ大学の恩師は、「デザインの才能とは後天的なものであり、努力によって誰でも習得できるものだ」と語っていました。
実際、私自身も生まれつきのセンスや才能があったわけではなく、ただ「デザインが好き」という気持ちをきっかけにこの道に入り、今ではUXデザイナーとして活動しています。だからこそ、デザイン思考では扱われにくい、スキルとしてのデザイン能力も、意志と継続的な努力によって身につけることができると、確信を持って言えるのです。
「デザイン思考」と「デザイナーの思考」のまとめ
デザイン思考は、論理やプロセスによって初心者にも創造性を開く「橋渡し」になります。そこから、観察力・造形力・状況判断・身体性などを学び、「デザイナーの思考」による創造性へと深化していくのです。
これは例えるなら、料理のレシピを学ぶこと(=デザイン思考)から始め、最終的にはレシピに頼らず創作できる料理人(=デザイナーの思考)を育てるようなものです。
デザイン思考は、教育や組織変革に役立つ「みんなで共有できる考え方」です。一方で、デザイナーの思考は、実際の創造の現場で発揮される「経験に裏打ちされた専門的な知恵」です。この両者の違いを正しく理解し、バランスよく育てていくことが、これからの時代に求められる創造的な学びのあり方だと言えるでしょう。
終わりに
本記事では、デザイン思考とデザイナーの思考の違いについて、独自説を述べました。creativeog[クリオグ]では、デザインに関する記事も多数執筆しています。他の記事もぜひご覧ください。
今回、筆不精の私が頭のモヤモヤを少しずつ言語化するにあたり、以下ウェブサイトが参考になりましたので、共有します。本記事には引用元の記事内容に自らの考えや知識を加えて独自説として書き上げました。ぜひ、2つの記事もアクセスして見てください。
https://note.com/kenta_ono/n/n36bcbb9eb990
デザイン思考の背景「デザイナーの思考と意味の創造」講師:本條 晴一郎|NVCA講義プログラム